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カントリーホームへの誘い(2006年7月19日)

 カントリーホームを議論するにあたり、この私生活的な趣向(スタイル)を何ゆえ題材としたかを理解してもらう必要がある。すなわち、私生活的であるならば、各人がそれぞれの展開を図ればよいのであって、これまでの貴重な時間を割くこととなった理由は何故なのかである。

 参加するメンバーには、それぞれの目的があり、このサロンに集うこととなったが、私としては、農村地帯を覆う閉塞感に答えを見出したい環境にあった。具体的には、国営事業で造成した施設が必ずしも当初の事業目的のように活用されず、受益としている農地が毎年のように耕作放棄される現状があった。計画では、新たな用水確保により、そこでは集約農業が展開されるはずであったが、傾斜地が多く、地力にも恵まれない戦後開拓地は、条件の良い平場に比して極めて難しい場所である。(以上の事は、会計検査院の指摘を同様の条件下にある他地区と同様に指摘を受けつつも、有効な打開策が無いまま時間を経過している)

 その一方で、この場所は旭川市内にあって、大雪連峰を俯瞰する絶好の位置にあり、使い方によっては魅力的な場所である。にもかかわらず、産業廃棄物の処理施設になっていたり、土採り場として、無残な姿をさらしている

 初期のカントリーサロンにおいて、ロシアのダーチャが一つのモデルとして紹介があった。確かBiさんのロシア勤務に関連した話題であったと思う。ソビエト崩壊後の混乱時に何ゆえロシアでは大きな混乱が生じなかったかの問いに対する一つの答えとして、食糧は各人がダーチャで確保していたから、とりあえず誰も食うことに困らなかったと言った見解にも納得してしまうのである。

 では、我々が目指すカントリーホームとはロシアのダーチャと同義かと言えばそうでは無い。確かに週末や休暇を利用したダーチャでの生活スタイルは、カントリーライフの一面ではあるが、それだけでは北海道の現状を解決する糸口にはなりえない。

 北海道農業は、前基本法の国内における優等生と言われるように、規模拡大と合理化をテーゼとして国、北海道が同じ方向で進めてきた。大規模な水田、畑、牧草地帯はそれらの施策の間違いのない成果であり、そこには豊かな農村が展開しているはずであった。しかし、現実には規模拡大の投資にあえぐ農家と生活手段としての農業を断念した離農者がいる。そのため、生産と生活の場が同一である農村は、離農者に新たな仕事を提供できなかったゆえに、人口減少と少子高齢化の激しい流れにさらされている。地域の最大のよりどころである小学校をはじめとする教育機関が無くなり、郵便局、農協支所等も無くなってきている。北海道の典型的な道路沿いに点在する住宅は、本州における集落とは異なり、地域力のますますの低下を招いている。

 カントリーホームは造語であるが、その言葉には多くの期待が込められている。